コンサートでは前の席のチケットの方が価値があるというのは本当か?

雑記
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音の不思議

僕は音に敏感である。周囲の些細な音も聞こえてしまう。うつ病の人は聴覚過敏といい、音への過敏さが上昇し大きい音がある環境を回避する傾向があるが、常に音に敏感であるので、病的なものではない。
健常の人はインプットする音に対して、重要性などを考慮し脳でフィルターをかけているといわれる。例えば喫茶店で友達とおしゃべりをしているとすると、友達の声をメインに感じ、それ以外の他の客の話声や食器がぶつかる音、隣の席でパソコンをタイプする音などは、脳がフィルターをかけ、あまり感じないようにする。しかし、発達障害がある人はそのフィルターをかけるのが生まれつき苦手と言われる。つまり、すべての音が同じように脳で認識されてしまうのだ。そのため、静かな場所ならば良いが、ファミリーレストランなどの様々な音がする場所では、会話に集中できず、非常に疲れてしまう。
僕は幸いフィルター機能は自然に機能している様で、集中できないという事はないが、様々な音が聞こえてしまうのは単に耳がいいと喜んでいいものなのか疑問である。

音以外の刺激は、フィルターをかける事が難しい。視覚は目を閉じない限りは平等に見えてしまうし、匂いも慣れはあるものの気にしないようにはできない。

中国語は耳に心地よい

中国語は世界で約12億人に話されている、世界最大の母語話者をもつ言語である。また、表意文字である漢字のみを使用するという所も特徴である。
過去漢字は非効率であるという理由でベトナムや韓国など、漢字を廃止した国もある。また、日本で用いられている従来の漢字とは違う、表記を簡単にした簡体字が、中華人民共和国では1956年に採用されている。
繁体字に慣れた我々が簡体字を見ると、面食らってしまう。読めそうで読めない、何か記号の様な印象である。中国語は声調がある事も大きな特徴である。中国語に耳を傾けると歌を聴いているようで心地よい。

中国人は濁音が苦手

中国人は「d」と「t」の音の区別がわからないという。
日本語がかなりうまい中国人も「大丈夫」を「たいじょうぶ」と言ったり、「単純」を「だんじゅん」と言ったりする。
はじめは僕は中国語には「d」と「t」の区別がないのかと思っていた。
しかし、中国語を勉強すると、ピンインでは「d」と「t」が明確に区別されていた。例えば「大」は「da」「他」は「ta」である。そして、中国人はその発音は明確に区別していた。

中国人は耳が良すぎる

その後日本語を勉強中の中国人にきいた話によると、中国人は耳が良すぎるのだという。耳が良すぎるため、日本人が発音する「t」の発音の中に「d」と「t」と発音する時があるのを認識している様である。同様に「d」の発音もその文脈や人によって「t」と発音している時がある事を認識していて、そのため、どちらの発音かがわからなくなってしまうというような事を説明されたという。 日本人にとっては「単純(たんじゅん)」と発音したつもりでも実際は「たんじゅん」と聞こえる場合と「だんじゅん」と聞こえる場合があるようである。

視覚か聴覚のどちらが重要か

子供の頃、目が見えないのと耳が聞こえないのはどっちが嫌かと考えたことがある。この問いを祖母にしたら目が見えた方がいいに決まってると述べたのである。祖母は目が見えればきれいな花も見えるし、笑顔だって見えると述べた。僕は子供の頃から聴覚があった方が良いと思っている。理由は、目を閉じれば視覚がない世界は想像できるが、聴覚がない世界は耳をふさいでもあまり現実感がなく、実際よくわからないからなのかもしれない。しかし、音がない世界というのは非常に孤独なのではないかと思うのである。

視覚化優先社会

いつの頃からか、テレビ番組で字幕が多用されるようになった気がする。バラエティー番組などでも頻繁に出演者の喋っている言葉をカラフルな文字で表示する。テレビを見ているとこれらの字幕に依存している自分に気づいた。例えば目を閉じて番組を見てみると、聞き取るのに集中力と労力が必要なのである。
最近では、スマホやPC、ラインなど文字での情報収集、やり取りが増えている気がする。確かに高齢になれば聴覚やその識別能は低下するが、どんどん視覚への依存度が増えている様に思えるのである。

コンサートの座席

コンサートでは前の方のチケットが取れるとラッキー!と思う。逆に後ろの方の席は巷では「糞席」と揶揄されている。

好きなアーティストの姿を少しでも近くで見たいと思うのは当然の事ではあるが

目を閉じてみれば、前の席でも後ろの席でも同じなのである。

次のコンサートでは視覚は程々に、聴覚を最高に研ぎ澄ませて臨みたいと思う。

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