India Gooseを追いかけた旅 ~知覧特攻平和会館~

雑記

 

2014年、中島みゆきの舞台、夜会「橋の下のアルカディア」が上演されたが、それを見た後、僕は鹿児島に行こうと思い立った。

鹿児島にある知覧特攻平和会館に行くためだった。

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英霊という言葉

館内に入ると、平和会館の趣旨説明が書かれていた。そこに記された「英霊」という文字。これは戦死した特攻隊員の事であるが、なぜ英霊なのか考えた。

当時は殉職した者は英霊となっていたのか、それとも、現在の日本が平和であるのは

彼らの死があったおかげだという後世の価値観からなのであろうか。

とにかく、ここは若くして散っていった特攻隊員を英霊として祀り、記念している場所なのだと理解した。

内部に入ると目に飛び込んでくるのは多くの遺影だった。

全国から特攻隊を志願し海に散っていった若者達の遺影と遺書が

壁一面に設置されていた。まだあどけなさが残る少年達の写真は誇りに満ち溢れているようにも見えた。

凛々しく達筆な遺書

展示されている遺書はとても10代の若者が書いたものとは思えない程文字は凛々しく、文章の内容もしっかりとしていて立派なものだった。特攻隊に志願していた人はもしかしたら秀才ばかりだったのではないかと思うほど立派な文章であった。両親、同朋にあてた手紙は、どれも取り乱す事がなく、冷静であった。ある弟に向けた手紙には、母ちゃんや妹達を頼むぞというメッセージが記されていた。

これらを読むと死への恐怖は微塵も感じない。闘志に溢れ、国のために喜んで散るという意気込みである。検閲があった時代であるが、自分が死ぬという事はそんなに重要な事ではなく、特攻隊員に選ばれた事やこの職務を遂行できる事を誇っているような文章ばかりであった。

 

特攻隊に志願する事はかっこいい事だったのか

特攻隊は志願制だったようだ。確かに戦闘機を運転するだけでも、エリートでその中でも選ばれた人しか出来ない事だったのかもしれない。片道の燃料だけを積んで長時間飛行し、目標に確実に突っ込まなければならない。相当な航空技術が必要だったため、パイロットの中でもエリートでないと選ばれなかったのかもしれない。

遺影には、出身地が記載してあり、九州だけではなく、関東や東北、北海道など全国各地から志願して知覧特攻基地に出向いていたことがわかる。やはり特攻隊員になることは、空軍の若者のあこがれであったのだろうか。

憧れの職業とは虚構であるのか

 

現在様々な職業があり、職業選択の自由が認め手られている。しかし、本当はきつく、大変な仕事であるが、社会的イメージやかっこよさから志望者が多い職業はないだろうか。例えば警察官は、僕たちが社会生活を安全に送る上で必須の存在であるが、仕事の内容は多くが地味でストレスフルである。夜勤もあり、危険もあり、公務員なので給料は固定されている。しかしながら、テレビドラマやドキュメンタリー番組の影響か、とてもかっこいいイメージがあり、警察官になりたい人は毎年多くいる。僕も小さい頃は、刑事ドラマが好きで、刑事や警察官に憧れていた。

航空機のキャビンアテンダントも、英語ができて、世界を飛び回る大変優雅でかっこいい職業というイメージがあるが、実際に客として航空機を利用すると、CAさんって激務だなーと感じる事が良くある。安全とは言えども、空の上にいる時間が多いため、一般の人よりは相対的に事故にあう確率は高くなるし、放射線への暴露量も多くなる。負の側面はあるにせよ、華々しく海外を飛び回る高貴なイメージは現在も健在である。イメージは重要だと感じた。

送り出す側の思い、隊員の本音

誰でもなる事ができない、特攻隊員になる事が名誉な事だったとして、当時の親たちは自分の子が招集され、特攻隊員に選ばれた事をどのように感じていたのだろうか。

自分の子どもが難関の隊員になれたと誇らしく思っていたのか、それとも、本音では死ぬと分かっている隊員に志願したこと、選ばれた事を全力で止め辞めさせたいと思ったのだろうか。当時の親の心境が書かれた資料はこの博物館には見当たらなかった。また、隊員の立派な遺書は数多あるが、泣き言を綴った記録はそこにはなかった。

「国捨て」の問い

夜会「橋の下のアルカディア」の終盤で中島みゆきは「国捨て」を歌う。その様子に目頭が熱くなった。「この世の恥とは何ですか、御国の恥とは何ですか」と続ける。

自分の感情に蓋をし、体制に従う事への是非を問うている。

逃げ場のない、現代社会にも通じる問いである。

 

この作品のテーマは「捨てる」だといわれている。夜会の中でも素晴らしい完成度であり

大変考えさせられる作品である。

 

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