マウンティングという言葉はなぜ最近流行したか。

雑記
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マウンティング

子は親を敬うべきである。部下は上司の指示を聞くものである。この様な従来の価値観が崩れつつある。親からの虐待やパワハラのニュースが年々取沙汰されるようになるにつれ、マウンティングという言葉も浸透してきたようにも思える。

部下が上司の文言や行動を揶揄するときに「マウンティング」という言葉が使われる様な気がする。上司は果たして自分が上であることを顕示しようとしているのだろうか。以前なら、年次が上の者に従い教えを乞うのは当然の文化だったが、最近は価値観が変わってきているため、打っても響かない上司側をあざ笑う言葉だろうか。

マウンティングという言葉はなぜ一般的になったか

そもそも、マウンティングという言葉はなぜ一般的になったか。かつて社会では、去勢されている事にしておいた方が秩序が守られ、都合よく回る事があった。現代がよりビジネスライクになってきた証拠だともいえる。テレビで懐かしい歌番組の場面が放送される事がある。レコード大賞などでは、アイドルが大賞を取り感極まり涙を流し嗚咽しながら歌う様子が映る。そして、傍らに親や家族が寄り添い一緒に涙を流している。なんと純粋な時代だったのかと思う。

アイドルや歌手になって、テレビで有名になり、レコード大賞に出て優勝する事は名誉なことだったのだろう。家族も呼ばれ共に喜ぶのは、故郷に錦を飾るという自負もあったのかもしれない。

視聴者も素直にその光景に感動したことだろう。

 

教師は絶対的な存在だった

祖父母の話を聞くと、昔は教師は絶対的な存在だったという。生徒が教師に歯向かうことはありえず、それくらい怖かったようだ。時代と共に徐々にその様な雰囲気は変化し、180度変わってしまったようだ。医師も昔はお医者様と敬い崇められており、最近でもまだ尊敬されている方の職業ではあるが、確実に単なるサラリーマンになりつつある気がする。権威的立場が実は幻想であったと暴かれ、ともすれば立場が逆転している現代を表す言葉かもしれない。

格差は広がるのか平衡を目指すのか

社会的な差別や身分などは過去に比べると随分なくなり、日本国憲法も制定され、法の下の平等が一般的となった。しかし、資本主義社会では経済的な格差は広がっていく。物質は拡散し、いずれは平衡へと達するのが世の常である。身分的格差も歴史とともになくなってきた。さて、経済的格差はどのようになっていくのだろうか。

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