心の会計 奢り奢られたくないものがある

雑記
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おごることは大人になる事?

僕は大学生になった時驚いたことがある。部活の後ご飯を食べに行くと毎回先輩達が奢ってくれるのだ。それまで、割り勘が当たり前と思っていた自分は衝撃を受けたと同時に、若干の違和感を覚えた。最初思ったのは「奢られるの、なんか嫌だなー」という思いであった。その違和感は徐々に慣れ、新入生は奢ってもらうものだ、これが大人の世界っていうものだ、などと思うようになった。当時先輩に「自分の分は払いますよ~」と述べた時、先輩は「自分たちも先輩に奢ってもらってきたから」「お前が先輩になったら、後輩に返していけばいいよ」と教えられたのだった。そうか、自分が先輩になったら奢らなければいけないんだと思ったが、その時違和感の正体がわかった。大学生なので、収入はなく、先輩達もおそらく親から小遣いをもらっている身であろう。自分で稼いだ金ならともかく、親に養ってもらっているのに、人に奢るというのはどうなのか?と感じたのだと思った。郷に入りては郷に従い、その文化を受け入れたが、今考えるとやはり自分はあまり好きな文化ではなかった。こういうのを一種のマウンティングというのだろうか。

おごられる事の意味

社会人になって、奢られる機会は時々あるが、以前のように違和感は感じなくなった。自分が大人になったのか、奢ってくれる人が自分で稼いでる人だからなのかは分からないが。それほど親しくない人から「今日は払わせてください」と言われた時には、時に奢られたくないときもある。しかし、受け取る事も優しさと考え、気持ちよく奢られたりする事もある。
たいていの場合、奢られると嫌な気はしない。その人への親近感も増すかもしれない。人間関係の潤滑油になっているのかもしれない。

おごられたくない人もいる

自分も年齢を重ね、人に奢る事が時々ある。でも自分はもともと割り勘がさっぱりしていていいと思っていたし、今でもその方がいいのではと思う事もある。しかし、今までの先輩の教えや、何となくの社会の雰囲気で、年長者が奢るという文化があるので同業の後輩と飲みに行くときなどは奢る事が多い。
もちろん、奢られるのが嫌な人もいると思うし、マウンティングだと取られる場合もあるので、本人が払いたいと言ったら、それは受け入れるようにしている。

精神分析での料金設定

精神分析にはお金がかかる。1回1時間のセッションに1万円~2万円程度自費でかかるところもある。それを週4回以上となると、一般の人は通えない。
通常の保険診療内で精神分析的精神療法を行う場合もある。この場合は自立支援医療制度を使うとほとんど支払いをせずに受ける事ができる。
さて、精神分析ではお金を払う事も重要な要素と言われている。それは、患者は精神分析という治療を受ける対価として、報酬を支払うという極普通の事であるが、そのやり取りがある事で、患者と分析家は対等でいられるのである。
精神分析の治療では、患者がセッションをキャンセルしても、原則として同一の料金を支払う必要がある。それは、治療契約で毎週何曜日何時にという枠組みがされた場合、その時間は、その患者のために空けてあるのであり、来る来ないにかかわらず費用が発生するのである。しかし、その様な関係なので対等性が維持されていく。対等性はある一定の距離が保たれる。治療にはその距離は必要なものである。奢り奢られる事は、この距離を縮める事に役に立つのだろうか。

心の会計とは

経済用語で心の会計というものがある。人の経済行動は必ずしも合理的ではないという例を示す言葉である。例えば、あなたは映画を見るために映画館に行き、そのチケットを2000円で買った。しかし、そのチケットを無くしてしまう。このチケットは再発行などは出来ない。この様な時再度購入すると答えた人は50%くらいだったそうだ。しかし、逆に映画館に行きトイレに行った後あなたは2000円札を落としてしまった事に気が付いた。インフォメーションに届け出たがそのお金は届いていない。さて、その後チケットを購入するかと問うと8割の人が購入すると答えたそうだ。同じ2000円の損失であるが、その2000円の用途によって、意味付けされているといった例である。

奢り奢られたくないものがある

前にも書いたが僕は食事などは後輩に奢る事に今では抵抗はない。しかし、奢りたくないものがあるのだ。それは演劇や舞台、映画などの料金である。これらは、自分で支払ってみるのと、ご招待でみるのでは感じ方が違うように思えるからである。また、その舞台にそれだけ支払っても良いと思える人と一緒に共有したいという思いがあるのだ。食事などは奢れてチケット代は奢ったり奢られたりしたくないというのは単なる心の会計という説もあるが、自分のこだわりなのである。

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